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2014年5月4日日曜日

神のみぞ知るセカイ FLAG268 「未来への扉」 感想

少々間が開いてしまったが、ようやく書ける最終回感想。
現実に生きるボクらがリアルの事情から逃れられないのは仕様だね。

サブタイトルは未来への扉。
天理篇後半のED曲だ。
意外と言うかなんというか、予想していないところが出てきた。
しかしGod Only Knowsが一度も使われなかったのは意外である(確認してないけど多分使ってないはず)。
本タイトルがそうだから選ばなかったのだろうか。




最終回なので先に書いておくが、この最終回への素直な感想はである。
良かった点もあったのだけれ全てを総括する最終回ともなるとやはりいただけない。

なんというか、描けていない部分が多すぎてまるで打ち切りなんじゃないだろうかと思ってしまう。




女神やべぇ。
まるで何事もなかったかのように全てが修復されているらしい。
主だった修復係はやはりウル婆なのだろうか。
というか他の女神はその役には立たないような気がする。特にメル。

しかし一本岩は折れたままのようだが、なぜそこは修復しなかったのだろうか。
折れたのは女神篇のときだが修復できないわけではないと思うのだが。
それとも封印のためとかの理由でできないのか。




どうやらドーちゃんは桂馬を留守電で呼び出したようだが、メールとかじゃダメだったのだろうか。
留守電よりもお手軽で確実だと思うのだが果たして。

あるいはドーちゃんは携帯の類は持っていないのかもしれない。
ハクアに電話したときもわざわざ公衆電話からだったし。
探知回避のために公衆電話を使ってた可能性が高い気もするが、多分気のせいだろう。


ドーちゃんの怪我はリューネと死闘を繰り広げた時のものだろう。
頭の怪我は崩壊時にガレキでも当たったのか、あるいは渡航機に飛び込むときにぶつけたか。
それよりもカッターで滅多刺しになってた腕の方はこれぐらいのケガじゃ済まないと思のだけれど、人間になったと言いつつやっぱり普通の人間とは違うのか。


ところでリューネさんどこいった?
心臓、かゆい うまとか言ってたけど無事なのだろうか。
死んでてもおかしくないし、生きててもおかしくない。
フィなんとかさんと同じくカバー裏で顛末が語られたりするのかしら。




こういうところのブレなさは素直に評価したい。
これから先も死ぬまでゲームバカ一代でいてもらいたいものだ。




バレたら台無し、というのはその通りなのだが実際のところバレる要素がどこにもない。
わざとらしく分かりやすい思わせぶりな発言でもしない限り過去に行く前の桂馬に正体がバレるようなことはなかっただろう。

とはいえバレたら即終了でもあるので慎重になるにこしたことは無い。
見えないところでがんばってたのだろう。多分。
それにしてもキャラを変えすぎな気がしなくもないが。




ちひろに告白しに行ったことを知っているとはドーちゃんの情報網はどうなっているんだろう。
やはり今でも可能な限り桂馬のストーカー監視警護をしているのだろうか。

でもそれは”守ってあげる”という約束のためだけではないはずだ。
多分。




前回の唐突な展開結果は、残念ながら(?)失敗。
予想通りというか当然というか。
逆にちひろが受け入れていたら、ひどい話である。




しかしなんだろうこの2人の距離感。
なんというか凄く良い。

今まで桂馬にはこういう”友達”に近いポジションのキャラがいなかった。
桂馬がそういう関係を他人に求めてこなかったというのもあるが、やっぱりそういう相手は必要だと思う。
対等な関係で理解を示すことのできる存在。
本来であればそれはバディであったエルシィが為すべき役割だったような気もするが、彼女はラスボス(マスコット)だったからその役目を果たせなかった。
まぁ立場上は教師と生徒だから友達というにはちょっとおかしいけど。




ちひろのこの返答、素晴らしいと思います。
正直に申すとわりと読者の何割かの声を代表した言葉ではないだろうか。




ドーちゃんもっと腹抱えて笑っていいんですよ。

すごい返事ではあるが、実際のところ桂馬はそう言われても仕方ないだけのことをしてきている。
理由はどうあれやったことに変わりはない。

とはいえちひろの言葉もそのままの意味ではない。
意訳すれば「おめー何言ってんだ頭沸いてんのか」 ぐらいの意味で勢いに任せて言った言葉だろう。




変わんねーなこの男。
変わらなくていい部分と変わらないといけない部分があるはずだけど、ここはどうだろう。

現実と向き合っていくのであれば、ここは変わらなきゃいけなかったところじゃないのか。
巻き込んでしまった関係者を解放しなければならないというのはその通りだ。
その方法の理屈も分からないではない。

しかし何というか、ぶっちゃけるとそのやり方が乱暴というか雑なのだ。
好きな人がいるからというのも多少の違いこそあれ女神篇のときに桂馬が考えていたやり方と大差が無い。
結局のところちゃんと相手のことを見たやり方ではない。




うーん、正直なところを言うと桂馬がちひろのことを好きってのはかなり弱いと思う。
確かにそういう風に読めばそう読み取れるのだけれど、逆に言うとそういう風に読まないと苦しくなる。

今までかっちりとした解釈にならないように描いていたシーンが多かっただけに、その意図を固めるステップなしに結論を述べられても「そうなのか?」と疑問符が浮かんでしまう。
そこがまず描写不足と言われてしまうところだろう。

そして桂馬がちひろのことが好きだった、という理屈で話を見返すと桂馬が本当に酷い人間になってしまう。
いやまぁ酷い人間だったんですっていうのなら、そうですねとしか言えないのだが。




ドーちゃんが桂馬を呼び出した本当の理由はゲーム機の返却だった。
何台没収されてんだ。
これ売るだけでそれなりの金額になりそうだ。

というか桂馬は白以外のPFPも持ってたのね。
今までは白しか出てこなかったのでそういう縛りがあるのかと思ってた。




ドーちゃん目が完全にドクロウちゃん状態である。
どうやら二階堂モードの顔つきはある程度意識して変えていたようだ。

高校時代からそれを徹底していたなんて、さぞかし頑張ったのだろう。
ドーちゃん偉い。




ヒャードーチャンカワイイ。


ドーちゃんが桂馬に対して抱いていた感情がどういった類のものかは分からない。
好意を寄せているのは分かるが、それが恋愛感情に近いのか敬愛に近いのか。
一緒に過ごした期間も短かったし、もしかすると本人も分かっていないのかもしれない。

口調も二階堂モードからドクロウモードになったり、戻ったりと忙しい。
やっぱりどう接していいのか分からなくなっている部分があるのだろう。
うん、いいね。凄くいい。

でもちょっとやりすぎてたと思うの。
シュー!シュー!の当たりとか。




気を遣って忠告する振りをして文句を言うドーちゃん。
10年ほどしか人間をしていないはずだが、随分と立派に大人になっている。




本当はもっと妹として”お兄ちゃん”と一緒に過ごしたかっただろう。
でもその願いは叶わないのだ。

10年という時間は長すぎたし、年上の妹なんてものは存在しない。(義妹ならありえるけど)
そうでなくとも巻き込んでしまった者として、その役目が終わればけじめをつけなければいけない。




一方的な別れを告げるドクロウを桂馬は呼び止めようとする。

どうして桂馬は呼び止めようとしたのだろうか。
まだ話は終わってない、言っていない言葉があったのだろうか。

それとも役目は終わったというドクロウの言葉を否定したかったのか。




しかしドクロウは桂馬の言葉を聞き入れない。
ここで呼び止められて、戻ってしまったらきっと離れられなくなってしまう。

出来ることならば一緒にいたいだろう。
同じ場所で同じ時間を過ごすことができなくとも、今までと同じように見守ることができるのであればそうしていたいのだろう。

誰からも咎められることはないかもしれない。
誰もが受け入れてくれるかもしれない。
でもそれはきっと許されないこと。

だから待たない。
だから振り返らない。






だから一度だけ。
最後にもう一度だけ。
お兄ちゃんと呼ぶことを許して欲しい。

これでドクロウは、おしまい。



非常に良い笑顔でドーちゃんの話は締めくくられた。
でもここから先はどうするのだろうか。
また別の人生を探すのか。
それとも新地獄に戻る?のか。








さて問題のヤドヌシーズ。
ちゃんと出番があって良かった。


かと思ったら、なんとかのんはセリフなし。
ちょっと扱いが酷くないでしょうか。

かのんの新曲は『歩いていくもん』だが、なんというかそんなに明るい歌ではない。
失恋ソングというよりは、仲間を失ったけど頑張る的な内容となっている。
歌詞の細かい内容を見なかったとしても、傷ついた分を乗り越えて前に進むといった感じだ。

うーん、前向きなのはいいんだけどね。
他のキャラもそうだけどちゃんとフられてないからもやもやしてしまう。
(かのんは通常攻略時にフられてるけど)




月夜&栞。
プレゼントタイムに続いて完全にセットになってしまった。

悪くはないのだがこの2人親和性が高いというか、タイプ的に近いところがあるので意外性がないのが勿体ないところ。
体育会系の歩美と組み合わせたほうが幅の広がりがあったかもしれない。

月夜のセリフから察するに、桂馬が話した内容は”好きな人がいる”程度のもののようだ。
結局攻略のことや過去のことは説明してなさそう。

栞が自分で調べようとしていることからも、そのことが伺える。




歩美&結。
ありそうであんまりなかった組み合わせ。

細かい話を聞く気がなくなった、というが桂馬の方も話す気がないだろうからどのちみ聞けなかっただろう。
多分だがその辺りも織り込み済みでの”告白”だったと思われる。

歩美には全部話すと約束していたはずだが、その約束が果たされる日はきっと来ないだろう。 




驚愕の事実。
あゆみん初恋。

流石に高2で初恋は遅すぎないでしょうか。
ちひろにように「そんなの恋じゃねー」と否定されるような恋すらしたことないのだろうか。
さすが重い子。
きっと部活に夢中で色恋沙汰に興味がでなかったんだろう。
そうに違いない。

つまり桂馬は本当にあゆみんの初めてを貰ったことになる。
その罪は重い。




結は非常にポジティブ。
このキャラクターを今までコメディでしか活かせなかったのはもったいない。




逆にあゆみんはネガティブ。

うーん。
これでいいのか?
こんなのでいいのか?

正直に申すと、(後術するけれど)天理の扱いも酷かったが全体を通すとぶっちぎりで歩美の扱いが一番酷い


なんかもうピエロ(女性なので本当はピエレッタ)にもほどがある。
数話前の展開がなんだったんだろうという扱い。

歩美の性格を考えたらギブアップすること自体は自然でもあるのだけれど、それにしては今までの話はなんだったのだろう。
ここまで可哀想なキャラは久々に見たかもしれない。
悪い意味で展開に引っ掻き回されている。




結がいい奴過ぎて涙が出そう。
というかこのポジション本来はちひろがやるべきところじゃないのか?

最終回の展開としてそれはできないし、結を絡ませたかったのだろうが親友ってなんだろうね。




やっぱりセリフのないかのん。

何かコラに使えそうなコマだ。





さて、最終回で最も物議を醸し出した天理。
しかし先に述べたとおり扱いとしては歩美の方が酷かった。

まぁ歩美の方が酷かったってだけで、天理が酷くなかったわけじゃないんですけどね。




あの娘、と天理は言っているが天理はちひろと会ったことがないはずだ。
その辺りを意識せずに描いているのでなければ、天理は桂馬とちひろの様子を見ていたことになる。


・・・うん、このことは考えないほうがいいな。




天理は桂馬から受け取った手紙によって、全てを知っていた。
全てを知った上で協力し、世界を繋げた。




自分の想いが届く可能性は万に一つもない。


OH・・・










実に非情な手紙である。

確かに下手に期待させるよりは良いのかもしれない。
自分に対する好意を利用するような形にはせずに、あくまでも対等に、本人の意思での強力を頼む。
一見すればひどいが、実は誠意のある言葉に見えなくも無い。







なんて言うと思ったか?

確かに恋心を利用するなんて下衆ではなく見えるかもしれない。
しかしちょっと考えてみよう。
そもそもこの手紙の内容は天理が桂馬と再会してから初めて確認できるのだ。(名前以外に漢字が使われているのでその1・2ではない)
つまりこの言葉自体が10年間天理の心を縛った後で伝えられていることになる。
一応幼少時に「別々のルートを歩いていく」なんてことは言っているが小1の子供にその意図するところが伝わると思っているのだろうか。
大人相手でも伝わらんぞ。

さらに桂馬は10年後に天理が自分のことを好きだとというのを”知っている状態”で手紙を書いている。
つまり言葉では釘を刺しているがそれは自己弁護のためにしか機能していない。
まぁ最終的に気持ちを決めるのは本人なのでそこは良い。
一番問題なのは、確認しておくと書き、最終的な決定権を天理に預けているように”見せかけている”点だ。

一見すると桂馬を呼び戻すかどうかを天理に託しているように見えるが、天理はそこに至るまでの行動も含めて実際には選択肢が存在しない。
桂馬の意図していたもの以外の行動を取ってしまうと即GAME OVERという状態だったからだ。
そして天理はそのことを知っている。

桂馬の側も過去に戻っている=作戦が上手くいったということを理解しているので、結果的に天理が呼び戻すということが分かっているのに選択権を預けている。

つまるところ今までと何も変わらない、むしろエンディングはないという言葉を使った分ある意味で悪質になっているマッチポンプなのだ。


うん、こりゃひでぇ。




しかしそれでも天理は桂馬の指示に従った。

それは例え報われない想いだったとしても、かつて恋した桂馬に会いたかったから。
なんて女神のような、菩薩のような心だけじゃなかった。




天理は例え叶わない恋だったとしても、無償の愛を捧げて桂馬を助けただろう。
それだけのことが出来る少女だったのだ。

でも、決してそんな都合の良い存在であっただけではなく。
もしかしたらと。
もしかしたらと。
淡い希望を、その恋が実る可能性を夢見てしまうただの少女だった。

天理はマジモンの女神じゃねーか。


 




最終回の見所ディアナさん。
なんか女神みたいなこと言ってますよこの人。※女神です

なんか凄い良いこと言ってはいるんですが、ぶっちゃけたこと言うとこれ当たり前のことだよね?
あとこの答え出すのってディアナさんでいいの?
主人公桂馬だよね?

あたかも天理は本当の人生を歩き始めたみたいな流れになってるけどさ、これそもそものスタート地点に立てなかったから別のスタート地点探してくださいってことだよね。 
せめてスタート地点にぐらいは立たせてやろうよ。
そのために10年間待ってたんだよね。
結果どうなるかはまた別の話なんだから。




完。




大分端折ったけれど終わり。終わった!
最初に書いたとおり素直な感想はなんじゃこの打ち切り(みたいな)ENDは!?というもの。
なんかこう、流れを見ずに設定だけの最終回を見せられた印象。
多分だけど最後2話の桂馬とそれまでの桂馬って別人か別の世界線の人だよね?
そんな感じ。

あ、ドーちゃんは気になるところはあるけど大体良かったです。



ここからは全体的なgdgd長文祭。
基本的にダメ出し。


とりあえずまずは神を崇め奉ろう。




最終回を読んだ知り合いの間で絶大な支持を得た香織さん。
他の人をギセイにしなきゃいけない、というのは少々誇張された表現ではあるがみなが幸せを取り合っているというのは真実だ。

実際最後のディアナさんの言葉も綺麗に言っているだけで、内容はそう変わらない。
ただ明確に他者を傷つけることを考慮しているかいないかだけだ。

それに対して桂馬はすべての人が幸せになる結末があるはずだと言って、香織を否定した。
はたして桂馬の選んだ結末はすべての人が幸せになる結末に繋がっている選択だったのだろうか。

残念ながらそうは思えなかった。
物語を終わらせるためと少女達を”解放”した。
後のことは自分で考え自分で決めろと。
一見するとこれは良いことのように見える。
実際に悪くは無い。

しかし桂馬の言った結末はそれで到達できる場所にあるのだろうか。
あるのだとしたら、誰も苦労しない。

結局のところ桂馬は、自分で答えも示せなかったし可能性も示せなかった。
ただ現実で歩き続けたいといった男がその可能性を示そうとすらしなかった。

辛辣な言い方をするならば随分と小さくなってしまったものである。
その小ささが人間だというのなら、それは人間を舐めすぎている。
人には無限の可能性がある、というのは世迷いごとだが無限の可能性を信じられる意志を持っている。
人間だから限界がある、はフォローではない。侮辱だ。



最終回、だけではなくそこに至る終盤はとにかく説明不足・描写不足だった。
なんというか”あらすじだけでまとめればちゃんと話になっている”という印象。
いやまぁあらすじレベルでも最後2話はどうかと思うけれど。

結局のところダメだと思ったところのほとんどが説明不足に帰結してしまう。
桂馬がちひろが好きだというところも、それを最後にもってくるところも。
現実を歩いていくならまず宿主たちと向き合わなきゃいけないところも。
設定だけで考えたエンディングここです、と言われているようなものだ。

そもそも設定だけで考えてもちひろを現実の象徴として扱うのは女神篇で終わっている話だし、他のヒロイン達を現実で頑張っている仲間として認めてしまった時点でその意義は失われている。
そこの昇華もしない、桂馬が自分とちゃんと向かいあう展開もないそんな状態でこのエンディングを見せられても「ふーん」としかならない。

そして最終回のロジックが女神篇終盤のころからほとんど変化していない。
これだと何のために過去編をやったのかが分からない。
ただの設定解説のためだったのだろうか?
だったらもっと機械的にさっさと終わらせてしまったほうが良かったのではないか。


尺が足りなくて最低限しか描けなかったということだが、それって結局描くつもりだったものが描けない状態になったってことで、経緯はどうあれ実質的には打ち切りに等しいのではないだろうか。

終わり方が明確に決まっているといわれていたハクアなんて最終回に出番はないし、正直ちゃんと形になって終わっていない。
天理は強固な設定と絶対的な理解があったが、終始都合の良い便利な舞台装置として終わってしまった。
歩美は事情を説明すると桂馬に約束させ、宿主たちの不満と現実の代表として描いたのに何の展開もなくギブアップした。
正直なところこの3キャラは被害者の会を設立しても良いレベル。

特に歩美。
歩美はひどい。本当にひどい。
ハクアはまだギリギリフォローできる。かなり残念だけど。
天理はフォローできないレベルだけど、天理自身がもはや女神なのでなんとか。
歩美はマジでちょっと本当にどうしようもなく哀れ。
どうしてこうなった。


結局のところ、よく言われていることではあるが過去編から直で終わるというのがそもそもおかしいのだ。
女神篇で傷ついた桂馬が過去で何を知って何を思って現代に還ってくるか。 
そしてこれからの未来に進むために現実とどう向き合うのか。
それがエンディングに向かうために必要になるはずだった。
でもそんなものは描かれなかった、だから女神篇までのロジックで物語を閉じるしかなかった。
つまりそういうことなのだろうか。

しかしそうだったとしたら、香織さんや空白空間でのやり取りには何の意味があったのだろうか。
終わりが全く見えていなかったのか?


そしてもう1つ。
作中で誰も気にしていないのが逆に不気味なのだが、女神どうすんだこれ
ディアナさんがまだいるってことは他の女神もいるはずだ。
ということは完全にほったらかしということになる。

地獄側の事情としても所詮トカゲの尻尾切りで終わってるし、三度女神が狙われないとは限らない。
そうでなくても自分の中に明確に意志を持った別人格があるというのは良いことではない。
短期的であればちょっと変わった友人程度で済むかもしれないが、長い人生で見ればマイナスはとてつもなく大きい。
少なくとも、外に出なければ影響がないからそのままで良いなどといった程度の問題じゃないだろう。

そこの説明が一切ないのもおかしいし、桂馬がその点について責任を持たないのもおかしい。
どうなってんだ。



これおかしくねーの?とかダメじゃね?という点を挙げればきりがない。
あらすじレベルや設定だけで見れば悪くないエンディングだったのかもしれないが、あまりにも不足しているものが多すぎてとてもじゃないが「良かったね」とは言えない最終回だった。

とにかく言いたいことは、
  • 宿主ヒロイン達の扱いが酷すぎる。
  • 桂馬が全然現実と向かい合ってない
  • 描写が不足しすぎてて妄想レベルのフォローが必要
  • ドーちゃん可愛い
だ。

とにかく過去編どころか女神篇もなんだったんだろうなと評価をひっくり返してしまいかねないものだったと酷評したい。

なによりも最後に戻ってきたセカイが現実というよりも桂馬にとって都合の良い、それこそゲームのようなセカイになってしまっている気がする。
ヒロインたちもあまりにも都合よくなってて(今までもそういうきらいはあったけど)、とにかく桂馬がセカイにヒロインたちに甘えすぎという印象だった。


単行本で10ページの加筆があるようなので、それで少しでも良くなればいいなぁ。



と、まとまってない長文でgdgdと書いたけれど、多分これでも言いたいことの2割も言えてない気がする。
面倒なのでもしまとめるとしても最終巻が出たところだろう。

12 件のコメント:

  1. 感想ありがとうございます。桂馬の消沈展開に関しての鋭い切込みに感動し以降読ませていただいてた者です。
    素晴らしい最終回だったなんて言ってる奴頭おかしくねと考えている一人です。

    「未来の扉」天理の曲が大好きなんでこんな最終回に持ってくんなよとまず愚痴る。
    ハーレム展開になればよかったわけ?なんていう奴にはこのまま桂馬を昔から人を騙し操っていたクズにしたままでいいわけ?と問い返したい。

    こんなに心を奪われた話は初めてで、裏切られた感がハンパない話は初めてでした。

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    1. 最終回に向けてちゃんと組み立てられてたら良かったんですけどねぇ・・・

      展開がどうのよりも、まず心情描写等がなさすぎて桂馬がクズにしか見えない、それまでの話の流れと結末が離れすぎてるってのがやっぱり酷いといわれているところの主要素なので単行本の修正・加筆でいくらかマシになってくれればと思っています。

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  2. レビュー完走お疲れ様でした!
    今まで「この人鋭いし、共感できるな~!」と思いながらロムらせてもらってましたが最後も同じ感想でした
    したらばのスレでもみんな言われていますがサンデー編集部への抗議かってくらい打ち切りEND感半端ないですね
    個人的にご都合展開のためにキャラの記憶をいじりだしたらその作品も作者も終了と思ってるんで覚悟はしてましたが
    このままの内容でアニメ化しても円盤売れなさそうだし何かしらのフォローはして欲しいですが・・・投げっぱにしつつ
    その道も封じた感じが非常に残念と感じました

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    1. 終了までの経緯は分からないですけど、やっぱり打ち切りだって思われても仕方ない終わり方をしたと思いますね。
      原作者のブログでは「終わらせるのは自分で選んだ」とは言っていますが、それと読者がどう受け取るかはまた別の問題で打ち切りだと思われてしまうような終わり方になったのは事実です。
      この辺りに関しては編集含めた製作者側の力不足だったと思います。残念ではありますが。

      単行本の修正と10ページの加筆では全てをフォローすることは無理でしょうけれど、いくらかでもマシになってくれれば良いですね。

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  3. 感想お疲れ様でした。
    作者が6年間愛した神のみはこの結末(から続く物語)でいいのでしょうか。
    作者が愛しているはずのヒロイン達はこれでよかったのでしょうか。
    作者の中の世界ではこれからも物語は続いていくのかもしれません。それを"漫画"という媒体で世界に発信する事はもうないのかもしれません。
    ただ「他に好きな人がいる」とだけ一方的に言われてそれで終了、という事をヒロイン達に突きつけてEND。
    これで作者はヒロイン達が幸せになれるのでしょうか。
    感情移入なんかしていないと言われればそれまでですが、長年愛した作品だからこそ登場人物達にも最後は幸せなエンディングを迎えてほしいと私は思っています。
    私は読んでいる受け身なだけの人ですが、それを生み出している作者は最もこの作品を愛していると信じています。
    ならばこそ、ヒロイン達にも作者が信じる最高のエンディングを贈って欲しいのです。
    この質問を本人に投げかける事は一生ないとは思いますが、願わくば作者の中の世界で続く物語では"皆が幸せになれる理想のセカイ"、"本当のエンディング"が迎えられている事を願います。

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    1. ”皆が幸せになれる理想のセカイ”は作中でその完成形が示されることはないだろうと思ってはいましたが、そこに至る可能性どころか向かって行くという意志すら示されないとは考えていませんでした。

      この最終回ではヒロインたちを含めた”皆”には一切言及せずに、物語りを終わらせ桂馬を主人公の座から引き摺り下ろすためだけに描かれたものだと思います。
      私は「創作物は創作物の中だけで閉じるべき」と考えているので、この結末は本当に残念でした。

      単行本では少しでも”本当のエンディング”へと繋がる道が見えるようになっていると良いですね。

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  4. こんな結末をありがたがっている人たちは何がそんなに怖いんでしょうかね
    最終二回程度が受け入れ難く大っ嫌いなオチだとしてもそれを認めた程度で
    愛してきた日々が消えてしまう
    楽しんできた自分を否定することになるとでも思ってるんでしょうか
    そんなことはないと確信してるから私はこの連載終了とそれを描いた人を全否定してます
    原作者が突きつけた結末だから
    雑誌掲載(と単行本)にはそれしかないから
    受け入れるしかない
    肯定するしかない
    嫌なら出て行け忘れろ消えろ
    こんな妥協こそ神にーさまが一番嫌うものですから
    レビューお疲れ様でした

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    1. 作品を否定することも読者の権利ですからね。
      作者が作品にとっての神であると同時に、読者もまた神です。

      結末を受け入れるも否定するも等しく与えられた選択の権利なので、私はこの最終回を否定します。
      願わくば単行本で救いのある結末となっていることを。

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  5. 何もしてないのにいきなり命を握られて、自分でできる手段が女の子攻略しかなくて、あまつさえ世界の命運を背負わされて、
    好きな子ができたのに永遠と他の女の子を攻略し続けて、その子たちを傷つけて心が痛んでも、それでもなおクズに走らざるを得なかった桂木君の事も考えてあげてください><
    「あと幸せになるためには犠牲~、 僕は皆が幸せになる~」のくだりは、意図的に人を犠牲にして自分が幸せになるのか、
    それとも結果は駄目になるかもしれなくても、なるたけみんなの為を思って行動したいという理念を掲げるかどうかっていう話ですよ。
    何かを成すために何かが犠牲になってしまう事は女神編でさんざん本人が経験してるんだから言われなくてもわかってるでしょう。つまりあの場面は、犠牲がエンディングに至るまでに必要な要素だったことは本人も認めているけれども、それを良しとは全然思っていない、もっと改善できたはずだという桂馬の心理の説明になっています。「いくら犠牲が出ても仕方ない」と「犠牲をなるたけ減らしたい」では結構違うと思います。
    それに一回大失恋しようが人生やり直せるでしょ。誰も苦労しない、じゃないですよ。

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  6. THE キモオタ代表な完走をありがとうございました。

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  7. なるほど、鋭い指摘だなと思って読ませていただきました。女神のフォロー、天理が舞台装置化してしまったこと、また全体的に駆け足すぎたことに対しては全く同じ意見です。

    しかし最終回の描写を見る限り、そのような「物語としての整合性」よりも、クソゲーとしての現実の中で、なんとか折り合いを付けながら立ち上がるヒロインたちの「人間としての強さ」を描きたかったためにあえて描かなかったのではないかと、そう思っています。

    もちろん、あの最終回から加筆して桂馬が女神たちにフォローを入れ、大団円を迎えることはできたかもしれません。しかし、それでは「物語からの解放」は成し遂げられない。攻略を忘れて自分の道を歩き始めている純やみなみなどとは違って、女神つきのヒロインたちはいつまでも「ゲームのやり方で心のスキマを埋めてくれた桂馬」に依存し続けることになってしまう。だからこそ、あえて突き放したのでしょう。全てが終わったのだから、(攻略の記憶が無いヒロインたちのように)あとは自分の力で立ち上がっていくしかない。事実、月夜や栞は前の内向的な自分から成長したように見えます。その点、歩美は本当に可哀想なキャラだとは思いますが、現実の恋愛も往々にしてそういうものであって、やるせない思いの中でなんとかやっていくしかない。前向きな結と一緒にカラオケに行くシーンは、まさにその象徴のように思われます。

    「桂馬の成長」という視点でこのストーリーを見た時、どうしても彼が冷酷に見えてしまうのは、まさにご指摘の通りだと思います。特に、他の女神つきヒロインとは違って、心のスキマがないにも関わらず10年間ある意味で利用され続けてきた天理に対し、桂馬は優しい言葉をかけてあげるべきだった、私もそう思います。しかし、そんな辛い状況にあっても立ち上がる天理は「人間として強くなった」のだと思います。


    長くなってしまったので、最後にこの作品のエンディングについての私の結論のようなものを。


    神のみぞ知るセカイのテーマは一貫して「選択肢のない、クソゲーたる現実に四苦八苦して向き合っていく」ことだったと思います(論じれば長くなってしまいますが美生、ちひろ、みなみ、檜攻略などが典型的でしょう)。ではなぜ最終回で桂馬の成長よりもヒロインの描写を中心にし、あえて歯切れの悪いエンディングにしたのか。それは、ゲームの延長線上に過ぎない「全てが解決しみんなが納得のいくエンド、トゥルーエンド」を迎えることよりも、「リアルのどうしようもなさ、それと向き合っていく人間の強さ」、このテーマを最後まで貫き通したかったからだと、私はそう思っています。

    鋭い考察、溢れる作品への愛が感じられる記事を楽しませていただきました、ありがとうございました。

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    返信
    1. 誤りと抜けがあったので追記

      誤:女神のフォロー→天理へのフォロー


      追記:最終回についての私の評価
      ブログ主さんの指摘は尤もだと思いますし、特に天理へのフォローについてはあっても良かったのかなと思います。

      しかし、読者からの反発を覚悟してなおこのテーマを貫き通した若木先生の姿勢は素晴らしいと思うし、敬意を払いたい。読者ウケだけを考えれば、もっと納得のいくエンドにはできたと思うし、桂馬を悪者にせずに済んだかもしれない。それでも作品の芯をぶらさずにこの終わり方をした事には先生なりの強い意志があったのでしょう。「エンドに納得できずとも、この作品を超えて歩いていかなくてはいけない読者」への強いメッセージが感じられる、この作品の良さのひとつなのかなと思っています。

      以上、失礼しました。

      削除